マゾとしての心の在り方は人それぞれでいい

S女王様・M男性コラム

マゾはこうでなければいけない。サドはこうあるべきだ。というのは無いと思っています。

無いと言ってもルールもマナーも何もないということではない。

一定の決まりを守ったうえでそれ以外の事柄を拘束する物はないと思っているのです。

プレイはお互いの関係を深める手段にしかすぎず、NGでなければ何でもいい。

女王様がボンテージじゃなければいけないこともない。M男は必ずしも痛みを伴わなければ調教にならないこともない。

性癖においてとてもマニアックで特殊な世界であるが、とても自由な世界だと思います。

SMの世界こそ“カタ”にハマった概念は取っ払い、純粋に男と女、女主人と下僕の関係を突き詰めていけばいいのだと。

そう考えるのも私の考えであり、これもまた人によって思いは違う。それは違うという人もいるだろう。

自由なので自分の思い描くSMの在り方、マゾの在り方を突き詰めていけばいいと思います。

SMは過激なプレイやマニアックすぎて、人や社会に迷惑をかけるお騒がせな人たちという認識を持つ人もいるが、真にSMを愛する人は人に迷惑をかけず、相手を思いやり、周りに配慮の出来る人のです。そんな人がなかなか理解しがたい性的嗜好を娯楽として楽しんでいる。

だから、迷惑な人がSMっぽいことをした結果、これだから変態は…みたいなことを言われると不愉快になる。

さて、調教中は女王様に身を委ねているのだが、その女王様はM男を観察して行動する。

プレイはなんでもいいと言いましたが、実際には自分の興味のあることで調教が進みます。

M男は心が変態マゾなのだから、崇拝する大好きな女王様から好きなもの(フェチ)プレイで気持ちよさを感じる。

そこをいじめられるのは、嫌だと本当に感じないし、むしろもっと罵倒してもらいたいと本心から感じます。

もっといじられたい、もっと見下されたい、もっとゴミ扱いされたい。

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